祝!夢かなう
 プロ初戦、5位となり、表彰台に立つ!
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 2度目のプロに上がったのが42歳のとき。あれから11年目、ついに人生2つめの夢をかなえた。
 その2つ目の夢とは、「55歳までにプロ戦で表彰台に立つ!」というもの。
 53歳にして初表彰台。喜びはひとしおだ。
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 今回の5位。この順位は俺の人生に影響を与えてきた。
 俺は子どものころからスポーツはそこそこできたが、決してセンスがあるわけではなかった。
 スノーボードをはじめた20歳まではスキーノルディック複合の選手だったが、決して強くはなかった。
 複合という競技はジャンプとクロスカントリー(細いスキーを履いたマラソンのようなもの)の2種目の
合計点で競う。
 俺は特にクロスカントリーが苦手で、「亀の相澤」と異名をとるほど走るのが遅かった。インターハイや
国体予選ではコース係の人たちが、もう全員ゴールして誰もいないだろう。と片付けて撤収作業を始めたころ、
俺がトボトボ走ってきて、「あ、まだ選手いる!」と忘れられるくらい遅かった。
 中学では、俺だけ全中(全国中学生スキー大会)に出られなかった。

 高校では、複合という競技をやる人口が比較的少なかったので、インターハイや国体にはギリギリ
行くことができた。ただ、成績はやはり泣かず飛ばず!

 そんな俺に転機がやってきた。それは高校3年の時、スキー部のジャンプのチーフに任命された。
 こう見えて責任感の強い俺はそれなりにチームをまとめようとした。
 そうして迎えたインターハイ。場所は富山、前半のジャンプでまさかの5位につけた。
 普段は俺のような弱い選手には見向きもしない新聞記者が、カメラを向け取材に来る。
 後半は超苦手のクロスカントリー15キロ。いろんな葛藤が渦巻いた。
 当日は雨。この種目はワックスがとても重要だが、スタートしたらスリップなしでグイグイ走れる感触があった。
 なぜか俺にスイッチが入った。あ、苦しくない!どうしたんだ?
 コーチが俺に叫ぶ。「盛夫!タイムいいぞ!その調子でいけ!」俺は「ゾーン」に入った。
 結果、超苦手なこの種目で8位になり、総合で5位となった。賞状をもらった。

 これで俺は大きく人生が変わった。スノーボードを始めるまで、いやこれまでずーっと、この高3での
インターハイ5位を支えに生きてきた。俺もやればできる!と。

 次の転機はテク選7連覇。結果だけ見るとすごそうだけど、この競技が俺に向いていただけ。
 テク選という種目は、1位にならなくてもいい。6種目を平均して高い次元でまとめれば総合で上位に
入るおもしろい種目だからだ。ずば抜けた実力を持っていない俺には向いていた。
 俺はタイミングが良く、連覇したことでメディアから取り上げられる機会がいきなり増えた。
 TVにもたくさん出た。
 
 みんなが「レジェンド」と呼んでくれるが、俺は俺なりに努力してきただけで、不器用なのは変わっていない。
 不器用だからとにかく考える。どうやれば自分の滑りが変わるか。そしてそれを試す。検証する。その繰り返し。
  俺には師匠がいない。はじめた時からスキー部時代の友達に聞いて、スキーの技術をスノーボードに
置き換えたり、人の滑りを見て盗んできた。

 あることがきっかけでデモンストレーターを引退した。そしたら、子どものころからずっとやってきた、「競技」
というものから離れ、ぽっかりと心に穴が開いた。どこに向かっていけばいいかわからなくなった。

 俺は思った。このままでは過去の栄光にすがってこれからスノーボードを教えていくことになるな。と。

 俺は再びレースの世界に踏み込んだ。アマチュアから挑戦し、42歳で2度目のプロになった。
 プロの世界で技術を磨いていくことで技術の仕入れをして、それをスクールやコーチングにフィードバック
しようと思ったからだ。
 そして、55歳までに表彰台に立つ夢(目標)を掲げ、努力した。それを達成して人に認めてもらいたかったから。
 できる!と信じていた。信じるようにした。

 俺のヒザは半月板が限界に近い。手術しないと治らない。腰はすべり症でしびれてる。この歳で手術すると
パフォーマンスが下がるそうなのでしたくない。
 いつまでできるかわからない。から俺はこれからも挑戦する。
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