何かをつかんだシーズン
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プロ第1戦で5位と幸先の良いスタートを切ったシーズンだったが
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2戦目では17位と振るわず(>_<)
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そして最終戦となった3戦目は、まさかのエントリーし忘れをダイナランドに向かう直前に気づき、AL部長の成田に電話。「現地エントリーできますよ」と。ホッと一息。昔ならこれで出れずじまいだったが最近は現地でエントリー可能になった。¥15,000も支払うことになったが、そこは割り切って。

 この時点で俺の作戦は決まった。最後尾に近いスタートなのだから1本目でフルアタックしていい順位に付けないと2本目にタイムが出せない。そんな俺の気持ちを察してか前日は大雨。昨年もそうだったな。どうか今夜冷えて明日アイスバーンになってくれ!そう願いながらホテルでいつものようにチューハイとビールを呑んだ。
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 さてさて当日朝、願いが通じたのかパキンパキンのアイスバーン。やった!これなら最後の出走でもたいしてコースが掘れないぞ!と。
 スタートでのみんなからの情報によるとDUのインターバルは13mくらいとのこと。
 結構狭いインターバルだ。俺はすぐさま斜度の緩いバーンを選んで確実にエッジを立て小さく深くターンする練習(調整)をした。アイスバーンでエッジの角付けが遅れると次のゲートに入れない可能性があるから。インスペクションもこのインターバルでのリズムをイメージして3本入った。
 1本目、ほんとに最後尾のスタートだった。ビブは356番 56人がデュアルで滑るとしても28番スタート。でも思った通りコースの掘れは大したことがなかった。普段さのさかでもっともっと掘れのきつい状況で練習してきたので気持ちはひるまなかった。
 1本目、リズムに乗りきれなかったが何とか小さなミスにとどめ無事ゴール。順位は忘れたが一桁台のいい順位に付け、気持ちはだいぶ楽になる。2本目の方がミスが目立つも11位で予選通過。
 さのさかで一緒に練習してきた啓太も予選通過し一安心。ところが西村がまさかのDQで1本目にて終了。
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決勝1ラウンドは同じオガサカチームの宮尾とだった。実力では俺は宮尾にはかなわないが、どうも宮尾は俺を嫌っているらしい。(あ、いや対戦相手として)俺もそれをうすうす感じていたので、俺にも勝機はあると信じてスタートに立った。コースも表面が少し緩んで滑りやすくなってきたのでとにかく自分のペースで滑りきることに集中した。1本目の途中で宮尾が視界に入ってこないのでおかしいなと思っていたが、どうやら途中でミスをしたらしく
そのおかげもあって1秒以上のリードで2本目へ。このリードをキープして無事勝ち上がる。2ラウンドの対戦相手は今君だ。ここまで来たらなりふり構わずフルアタックするしかなかった。
 1本目、掘れていたがとてもリズムが取りやすく、その日一番の滑りができた。中盤でミスをした間に今君にリードを許し、最後の緩斜面で追いつき1000分の4秒差で一応勝ち。2本目も掘れでエッジングミスをし、追いつけずここで敗退となった。
 しかしエントリーし忘れで最後尾スタートからの8位は良くできた。
 今君が優勝だった。

 シーズンを総括してみよう。
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今シーズン過去最高のプロツアーランキング6位を獲得した。
 42歳で2度目のプロに上がってからの俺のランキングを調べてみた。

05-06  48位(最下位)43歳
06-07  不明
07-08  18位
08-09  19位
09-10  18位
10-11  27位
11-12  26位
12-13  26位
13-14  25位
14-15  13位
15-16   6位     53歳

 まさに苦節10年。07-08あたりからは今から思えば無難に滑ってゴールしてとにかく成績を残すことを考えていた気がする。だからいつも同じくらいの順位。
 10-11からは確かランキングを意識せず、1戦でもいいからシングルの順位を残そうと守ることをやめたはずだ。だから順位は安定しなかったが、このころから今の滑りでは上には行けないと思い滑りを徹底改造しようと考えた。まずいいポジションとは何かを自分なりに考えバインディングやブーツのセッティングを大幅に変えた。
 そのうちバックサイドターンが足を引っ張っていると思うようになり、いろいろ考え、さまざまなことを試した。オガサカに移籍した晃平の理論も理解した。俺には到底マネのできるものではなかったがとても参考になった。そして同期でプロに上がった啓太が47でのプロ戦GSで6位に入賞したことに大きく刺激を受けた。やがて啓太がうちのスクールにこれまた移籍し、西村も迎えAZレーシングチームを復活させ活動するなかでさらに俺のレーシング魂は火が付いた。普段のゲート練習での完走率が異常に高い啓太を見ながら俺は俺なりにいろんな滑りの実験をしてきた。時には西村からの一言にヒントをもらい欠点を見出した。
 やっと目立つ成績が出るようになってきた今年、つくづく思うことがあった。俺は自分で言うのもなんだけど、つくづく不器用で、んで努力型だなって。
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だって、当時小学生だった大也はさのさかに通い、フリースタイルでテクニカルの大会に出ては勝ちまくり、グラトリもバンバン決めていたかと思いきやいつの間にかアルパインに転向。まだアルパイン歴浅い大也に俺はあれよあれよという間に追い抜かれた。
過去のオリンピアンたちやすでに現役を退いてしまった戸崎や工藤、吉岡健太郎、をはじめ、現役のトッププロたちは、俺が10年もかかってやっとわかってきたことを、あっという間に身につけていく。いや、俺はスノーボード歴33年。33年もかかった。
トップ選手が引退していくなか、オッサンの俺はあきらめきれずコツコツ続け、やっとつかんだシングルランキングの座。「うさぎとかめ」「継続は力なり」これ、まさに俺のことじゃねーか。
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マツコというプロがいる。あ、間違えた。マコツか。あの男はホントにすごいな。何がすごいって、もともとクロスでプロに上がったんでしょ。クロスの大会で活躍しながらテクニカル選にも参戦し、ちゃんと上位にランキング。それだけかと思ったら何年か前からアルパインを履きだし、きっと興味本位だろうと当時は思っていたが、いやいやしっかり研究しトレーニングを重ね、アルパインでもプロ戦でシングルの順位に入ってきた。もうこれが脱毛じゃなくて何だって言うんですか?あ、脱帽でした。
ほんの短期間でこれですよ。もちろん努力はしているでしょうが、マスターする早さが俺とは段違い。

でも、いいんです。俺は俺。遅いながらもこうやって実を結んできたんです。
今シーズン、男子アルパインの初代オリンピアンである鶴岡剣太郎君に声をかけてもらい、一緒にキャンプをさせていただいた。その時に剣太郎君がキャンパーのみんなに説明していたある一言が俺の心にスーッと入った。あたりまえのことだったが新鮮だった。
そしてそれがきっかけで俺のレースでの感覚が大きく変わった。
それからわずか何日後のプロ初戦で5位となり、大きな自信につながった。

昔から師匠のいなかった俺はいつも自分で考えて滑りを組み立ててきた。
33年滑ってしみじみ感じたことは、基本が大事ということ。
基本は裏切らない。

状況と体が続く限り、俺は挑戦する
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